鮮やかな青いスノーボードスーツを着て、見事に技を決め、雪煙をあげてフィニッシュ。
「オーケー!姫ちゃん、いいよ」
大津監督の一言で、場内から拍手と歓声が湧いた。
「すげーな、あの監督が一発でオーケー出したよ」
「あれじゃ、文句つけようないんじゃない?」
「見たかよ?あのグラトリ・・・。上級か、マスタークラスじゃねえの?」
「・・・俺。あんなすげえノーリーの連続技初めて見た・・・・」
その場にいた人々は、口々に感嘆の声を上げた。
司もずっとその様子を見ていたのだが、予想以上の姫宮の運動能力に舌を巻いていた。
―――バケモンか?あいつは・・・・
司は俄かには信じられず、どっかのプロでも紛れ込んでやってるんじゃないか、と思った・・・。
しかし、サングラスをはずして現れた顔は、間違いなく姫宮本人だった。
「―――・・・」
司は、なんだか不思議な感慨に打たれながら、歓声を受けて照れている上気して赤くなった姫宮の顔を、遠くから見つめていた。
もはや、どっちがスターなのか、分からない・・・・。
いや、そんなことは司にとってはどうでもいいことだったが、姫宮が自分だけのものではなく、ここに居る皆のもの、皆のスターになっている、ということが面白くなかったのだ。けれど、その悔しさを一体どこにぶちまけたらいいのかが分からず、やみくもにイライラした・・・・。
「司くん。次のテイク入るみたいよ・・・」
由梨絵が後ろから声をかけてきた。
「―――うっせーな・・・。分かってるよ・・・」
怒鳴ったつもりだったが、その声にはいつもの張りがまったくなく、中途半端に白い雪面に落ちて消えた・・・・。
その日の撮影が終わったあとで、司はすでに旅館に帰っているという姫宮にホテルから電話をかけた。
「姫宮・・・・。あのさ、・・・・俺の泊まってるホテル来てくんないかな?何時でも、構わないからさ・・・。」
司は、それだけ言うのが精一杯だった。
しかし、暫しの考え込むような沈黙の後で返ってきたのは、なんとも素っ気無い返事だった。
『―――・・・なにか、用ですか・・・?』
「―――・・・・用・・・?」
司の頭は冷水を浴びたように、一瞬で冷え切った。
「・・・用っていうわけじゃ、ないけどさ。・・・折角近くにいるんだし。ゆっくり、話でもしたいなって思ったんだけど―――。ほら、俺・・・・お前と違って、友達とかっていないし・・・・。だから―――・・・・」
後は言葉が詰まって、それ以上何も言えなかった。
携帯の向こうでは、一体姫宮がどんな顔をして、どんな気持ちでいるのか・・・司にはまるで想像もつかなかった。
―――用がなきゃ・・・会ってもくれないのか・・・・?
そう思うと、司はとてつもない孤独感に襲われて身震いした。
―――今までは独りでいるのが、一番気楽でいいと思っていたのに・・・・。
ところが今は、姫宮に見放されたら、死にたいと思うくらい・・・・一人でいることが恐ろしく味気なく思えた。
司にとっては、永遠と思われるほどの沈黙が流れた。
やがて・・・
『・・・分かりました。じゃあ、行きます・・・何時になるか、分からないですけど・・・』
「―――本当に・・・?」
驚きのためか、緊張から解き放たれた安堵のためか、司の声は未だかつて自分でも聞いたことのないような、妙なトーンに跳ね上がっていた。
「じ・・・じゃあ、何時でもいいから!俺、待ってる・・・じゃっ」
掠れ声でそう言うと、司は返事も待たず携帯を切った。
もし、ここでまた急に気でも変わられたら大変だ、という訳の分からない理由からだった。
―――とにかく、二人でゆっくり話せばきっと・・・・
・・・きっと―――?、どうなるというのだろう・・・?
というか、いったい何を話せばいいのだろう―――?
司はここに至って、自分が先のことなど何も考えていなかったことに気が付いた。
ただ姫宮に会いたい、という思いだけで電話して呼びつけてしまった・・・・。
でも、肝心の姫宮の方は、司をどう思っているのか―――?
少しでも好意なりを持ち、友達と思ってくれているのなら、先ほどのような応対などしないだろう・・・・。
そう思うと司の気持ちはまた、急速に冷えていった―――・・・。
―――コン、コン・・・。
気のせいか、躊躇いがちなノックの音が聞こえ、司は目を覚ました。
姫宮を待つうちに、いつの間にかウトウトとしていたらしい。
司は、慌ててソファから起き上がると、目をこすりながら部屋のドアに向かった。
時計は9時を少し過ぎたところを指している。こんな宵の口から眠くなるなんて・・・思いの他、撮影スケジュールのハードさが実際は身に沁みているのかもしれない。
けれど、このドアの向こうに姫宮がいると思うと、司の頭と身体は否応無く、期待感と緊張感でシャッキっとなった。
ドアを開けると、見覚えのあるグレーのトレーナースーツの上に、赤いダウンを着た姫宮が立っていた。
「・・・すみません。遅くなって」
いつもと変わらない澄んだ双眸だが、どこか固い表情を浮かべている。
「いや・・・。悪かったな、急に呼び出して・・・。迷惑だったか・・・・?」
心配そうに聞く司に、姫宮は小さく笑って首を左右に振った。
「―――と、とにかくさ。中に入れよ、寒かったろ?ほら。」
司が促すと、姫宮は素直に部屋に足を踏み入れた。
そして、驚いたように瞠目し、部屋を見回した。
「す・・・すごい部屋ですね―――」
「ん?そうかなあ・・・?これでも一応スイートらしいけど。まあ、田舎にしちゃマシな方かな。ああ、でも料理はすげー美味いよ、ここ。」
「―――スイート・・・って、初めて見ました」
「―――え・・・あ、ああ。そう・・・?」
なんだか噛み合わない会話に、司は焦りを覚えつつも奥のソファに姫宮を座らせた。
「ちょっと、待ってろよ。今ルームサーヴィス頼むから、ええっと、何が良い?ハラは、減ってない?飲み物が良い?それとも、フルーツとか・・・・?」
日頃の司からは考えられないような気の遣いようである。こんな司を見たら、おそらくマネージャーの由梨絵をはじめ、司を知っている人間なら腰を抜かして驚くことだろう。
「いえ。いいです・・・すぐに帰りますから」
「―――は・・・?」
司がプッシュホンを押しかけたところで、その手がピクリと止まった。
「すぐ帰る・・・?」
たたみ掛けるように尋ねる司に、姫宮はあっさりと答えた。
「明日、早朝からスタントロケですから・・・。それに、小河見さんもお疲れでしょうし」
「―――・・・・早朝・・・」
司は、今すぐ監督に電話して、そのくだらない早朝ロケとやらを中止させてやろうと思い立った。
「よし。ちょっと待ってろよ」
「えっ・・・?」
突然目の色を変えて、携帯を取り出し、どこかに電話しようとしている司を、姫宮は訝しく不安げな表情で眺めていた。
やがて、相手が出たらしく司が勢い込んで喋った。
「あ、オっちゃん?俺だけど。あのさ、明日のスタントの早朝ロケの話だけど・・・・え?
―――・・・はあ?そんなものないって・・・?・・・いや―――でも・・・・。そう・・・――――わかった・・・じゃっ」
携帯を切った司は、険しい表情で姫宮を振り返った。
姫宮は、どこか虚ろな蒼い顔をして、その場に凍りついたように突っ立っている。
「―――なんで・・・・?」
「―――・・・・」
「なんで、嘘つくんだよ・・・・?」
「―――・・・」
「そんなに俺が嫌いなのか?」
「―――・・・」
「なんで、黙ってるんだよっ!!なんとか、言えよ・・・・!」
怒鳴りつける司の声に動じる気配もなく、姫宮はただじっと黙って司を見つめていた。
「・・・・姫宮?俺を・・・避けてるのか?」
「―――・・・・」
「―――言ってくれよ・・・頼むから、なあ・・・姫宮――?」
司の声が、怒声から哀願の調子に変わるのを待っていたかのように、姫宮がやっとその口を開いた。
「―――当たり前だろう・・・・最初から、嫌いだ。・・・・小河見司・・・」
その言葉は、まるで死刑の宣告のように司の胸を突き刺した。
to be continued....